Article: ハイカー根津のHIKER'S DELIGHT Vol.2「野営の愉しみ」
ハイカー根津のHIKER'S DELIGHT Vol.2「野営の愉しみ」
前回の vol.1 の記事で、僕はこう書いた。
この“自由度”が、僕がハイキングを好きな理由でもある。自然の中を自然を味わいながら自由にさまよう心地良さ、絶景の有無に関係なく自然の中を歩く楽しさ、お気に入りのスポットがあればいつまでだってそこに居られる贅沢さ(なんなら野営してもいい)。ハイキングは、ゴールすることではなく、途上が楽しい行為なのだ。
このなかでも触れている「野営」は、僕がハイキングを楽しむうえでかなり重要な要素となっている。
まず、自由度が増す。野営ができれば、下山や帰宅のためにがんばって、あるいは急いで、あるいは無理して歩きつづける必要がなくなるし、悪天になったら凌ぐことができるし、グッとくるポイントを見つけたらそこで泊まることだってできてしまう。
そしてなにより、歩く以上に自然に深く浸ることができる。地面の上に寝ころがり、土や植物のにおいを嗅ぎ、風を感じ、葉音、鳥のさえずり、動物の声や足音を聴き……。
夜になれば当然ながら真っ暗闇。わけもなく不安や怖さがわきあがってきたりもする。でも、それもよいのだ。仲間と一緒であればそんなことはないのだろうが、僕は断然ソロ派である。
もちろん仲間と行く楽しさも知っているし、実際仲間と行くことも少なくない。でも、ハイキングという行為、遊びを最優先に楽しみたいときには、ひとりで行くことにしている。
たとえば、山で仲間とおしゃべりしながら登っていたらいつの間にか山頂に着いていた、というのはよくある話だ。
それはすなわち、自然や歩くことよりもおしゃべり、あるいは話し相手に意識がいっていたことに他ならない。対象 (ここではハイキング)にできる限り集中する、より深く楽しむのであれば、それ以外のものはないほうがいいのである。
これは物事全般に言えることで、ながら映画、ながら読書、ながら運転、ながらスマホ、ながら食べなど、は良い例だ。決して「ながら」がダメと言っているわけではない (運転はダメだが)。あくまで、対象を最優先して最大限に楽しむうえでは妨げになるというだけである。
さらにソロであることは、他者の影響から逃れられるという大きなメリットもある。日常生活において多くの人は、ほぼ四六時中、他者の影響を受けている。その他者とは、人とSNSが主たるものである。
でもソロ、厳密にはソロのハイキング (生活圏から離れて自然や山の中に入ることが重要な要素でもある)であれば、人やSNSから逃れることができるのである。
いまから13年前の2012年、僕がアメリカのロングトレイルを約5カ月間ハイキングして帰国したのち、ちょっとしたトークイベントを友人たちと企画・開催したことがあった。そのときのフライヤーには、当時僕がつくったコピーが印刷されている。
孤独になって、初めて自由を知った。
コピーとしての良し悪しはさておき、いまあらためて振り返って思うのは、これが僕の嘘偽りのない実体験であり、ハイキングに見出した大きな価値のひとつだったということだ。
アメリカのトレイルでは、他のハイカーや地元の人、トレイル関係者をはじめ、たくさんの人との出会いもあった。まぎれもなくそれはアメリカのトレイルを歩く魅力のひとつでもある。一方で、誰とも会わずひとり孤独に歩く日もたくさん経験した。
寂しさや不安を感じることもあったが、それは一概にネガティブなこと、というわけではない。大自然の中で孤独になることによって、日常生活ではあまりわきあがってこないさまざまな感情が表出する。それは自分自身にとって新鮮でもあり、発見でもあり、ちょっとした楽しみでもあったりした。
そして、孤独になるということは、前に書いたように他者の影響から逃れることでもあり、つまりそれによって自由を得られるということなのだ。これまで自分が、どれだけ人の影響を受けていたのか。どれだけSNSの影響を受けていたのか。どれだけ世の中の空気や潮流、他人のもっともらしい意見に流されていたのか。どれだけ他者の評価や感情を気にして言動をとっていたのか。それらを思い知らされた瞬間でもあった。
こう歩くといい。こういうギアがいい。これが美味しい。こうすると便利だ。ぜったいこうしたほうがいい。そんな情報やアドバイスは、ちまたにあふれまくっている。ちゃんと取捨選択できていただろうか。盲目的に賛同して自分の意見かのごとく受け売りすることもあった気がする。いやいや、そんなことがしたいわけじゃないんだ。
社会生活は他者あってのことなので、気にすることが不可欠な場面も多々ある。でも一方で、それが人生のすべてではないし、人として豊かに生きていくためには、そこから解放されること (そういう時間を持つこと)も必要であるはずだ。その解放と自由を、自分が自分であることを、僕はソロのハイキングで手にできることを知ったのだ。
だから、そんなことも踏まえてソロのハイキングを楽しむ人が増えたらいいなと思っている。ハイキングは単に山や自然に行くことでも、単に歩くことでもなく、それ以上の楽しみがたくさんある。最初はデイハイキングからでもいい。そしてそのうち野営もしてみると、より孤独と自由を感じられるし、なにより途上が楽しくなるから、山や自然の魅力をぞんぶんに味わえるようになるはずだ。
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根津 貴央Takahisa Nezu
ロング・ディスタンス・ハイキングをテーマにした文章を書き続けているライター。2012年にアメリカのロングトレイル『パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)』を歩き、2014年からは仲間とともに『グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)』を踏査するプロジェクト『GHT project』を立ち上げ、毎年ヒマラヤに足を運ぶ。著書に『ロングトレイルはじめました。』(誠文堂新光社)、『TRAIL ANGEL』(TRAILS)がある。